紅茶の歴史を紹介!発祥の地や世界中で飲まれるようになったのはいつごろから?

紅茶の歴史を紹介!発祥の地や世界中で飲まれるようになったのはいつごろから?

紅茶とは、いつの時代にどのようにして生まれたものなのでしょうか?
紅茶には1500年以上の歴史があり、その材料である茶の樹の利用の始まりは紀元前にさかのぼります。
ここでは、茶の樹の発見から茶の樹の利用が広まる流れ、イギリスの紅茶文化から現在の日本の紅茶に至るまでを、わかりやすく紹介します。

目次

  1. 紅茶の歴史とは?
  2. 日本産の紅茶ってあるの?その歴史とは?
  3. 紅茶の歴史を学びたい人におすすめ!世界の紅茶博物館
  4. まとめ

紅茶の歴史とは?

紅茶は、カメリア・シネンシス(Camelliasinensis)というツバキ科の植物の葉から作られます。
これは茶の樹とも呼ばれます。
茶の樹は大きく2タイプに分かれます。
丈が高く大きな葉をつけるアッサミカ系(C.sinensisvar.assamicaアッサムチャ、またはインド種と呼ばれる)、低木で小さな葉をつけるシネンシス系(C.sinensisvar.sinensisチャ、または中国種と呼ばれる)です。
この2つをかけ合わせた交雑種もあります。
茶の樹はいつの時代にどこで発見され、紅茶となって全世界に広がったのでしょうか?

紅茶の発祥は中国?

茶の樹は、中国の南方、中国からミャンマーにかけての山岳地帯に自生していました。
中国の神話では、神農皇帝に、茶の樹の利用法が見出されたと伝えられています。
実際に、中国では有史以前から茶の樹の葉を不老長寿の霊薬として珍重していました。
紀元前の中国の記録にも、茶の取引に関する記載があります。
茶の樹の葉は古代中国の書に生薬として記載されており、現代でも漢方薬の一部に使われています。

お茶を飲むことが中国で広がったのは6世紀頃

茶の樹の葉を煎じて飲むことは、まず、中国の貴族の間に広まりました。
最初は薬として飲用されており、この頃に茶の専門書も出されています。
薬ではなく、飲み物として一般化したのは6世紀以降です。
また、日本後紀の記述から、9世紀には日本で茶の樹の葉を使った喫茶が行われていたことがわかっています。
紅茶は、茶の樹の葉を摘んでからしおれさせ、よくもんで葉を酸化発酵させて作られます。
現在の紅茶の原型といえる「発酵茶」が登場したのは、10~13世紀ごろとされています。

ヨーロッパで紅茶が広がり出したのは17世紀頃

ヨーロッパに紅茶が広がったきっかけは、17世紀のイギリス王室に、ポルトガルから大量の茶葉と砂糖が持ち込まれたことです。
16世紀に、イタリア人が中国の喫茶情報を初めてヨーロッパに紹介します。
その後、ヨーロッパは海上貿易で栄え、特にオランダが広く貿易して利益を上げました。
そのオランダによって、茶の現物が中国からヨーロッパに渡りました。
イギリスは、海上貿易のライバルであるオランダに対抗するため、同じくオランダのライバルであるポルトガルとつながりを強化します。
その一環として、ポルトガルの王女とイギリス王室で婚姻が結ばれました。
この時、ポルトガル王女が持ち込んだ茶葉と喫茶の習慣により、イギリスで紅茶が根付き、18世紀のイギリス貴族社会に広まりました。

イギリスで万能薬として紅茶が飲まれ始める

東洋では、茶は薬用として飲まれ始めました。
ヨーロッパでも、最初は万病に効果がある東洋の神秘薬として広まります。
ポルトガルの王女キャサリン・ブラカンザは1662年にイギリス王室に嫁ぎました。
見知らぬ国に来た王女は、薬として茶葉と砂糖を大量に持参し、砂糖を加えたお茶を毎日飲みました。
茶葉も砂糖も、当時は非常に貴重な品です。
高貴な人のぜいたくな習慣にあこがれたイギリス貴族の間で、お茶と喫茶の習慣がとても流行りました。
その後、紅茶好きであり、イギリスの女王として即位するアン・ステュアート(在位1702〜1714)が、お茶を一日に何度も飲む習慣を定着させました。
イギリスの紅茶文化は、アフタヌーンティーの習慣なしには語れません。
この習慣を作ったのは、ベッドフォード公爵夫人のアンナ・マリア(1788〜1861)と言われています。
当時の貴族階級の夕食は、社交を兼ねていたので、夜遅くでした。
昼食から夕食までの空腹をしのぐために、夫人は、午後の3~5時の間に、軽食とお茶をとるようにしたのです。
これは貴族階級の女性たちに、社交も兼ねて広まりました。<

19世紀初めに、インドでアッサム種が発見される

1823年、紅茶の歴史は大きく変わります。
イギリスの冒険家にして東インド会社社員ロバート・ブルースが、インドのアッサム地方で自生の茶樹を発見したのです。
これが茶の樹のアッサム種です。
それまで、お茶には中国種しか使われていませんでした。
1834年には初めてインドでの紅茶栽培が開始されます。
栽培に関わった人間たちの努力が実り、1838年には、アッサム種で作られた緑茶がインドの茶業委員会のもとに初めて届けられました。

19世紀中ごろに、アッサムティーが誕生

アッサム種で作られたお茶は、1839年のロンドンのティーオークションにかけられ、大好評となります。
これにより、アッサムティーが誕生しました。
イギリスは紅茶のためにアッサムカンパニーを設立し、本格的にアッサム地方の開拓を始めました。
また、中国種とアッサム種の交配も進み、より良い品種が選抜されるようになりました。

19世紀初めに中国からスリランカに茶樹が持ち込まれる

スリランカは、もともとはコーヒーを主要作物として栽培していました。
しかし、スリランカのコーヒー園には「さび病」がはびこり、壊滅的な被害を受けます。
そこで、利益を生む代わりの作物として、茶の樹が目をつけられました。
1824年、イギリスは、スリランカ(当時はセイロンと呼ばれていた)植民地化後、中国から茶の樹を持ちこんで植えます。
スリランカのペラデニヤ植物園は、このとき初めて茶樹が植えられた場所として知られています。
これがセイロンティーの始まりです。

19世紀後半にスリランカで初めての農園が設立される

スリランカの紅茶生産の祖として知られているのは、ジェームズ・テイラー氏です。
1867年、彼はスリランカのキャンディ市で小規模な畑を作り、茶の樹を栽培しました。
これが、スリランカで最初の商業茶園、ルールコンデラ茶園です。
この茶園から、スリランカでの茶の樹の栽培が広まり、やがて安定して紅茶が生産できるようになりました。
当時のイギリス植民地であったインドやスリランカでは、順調に紅茶の栽培と生産が進みます。
19世紀末ごろには、はっきりと中国産紅茶の生産量を超えるようになりました。
そして、イギリスの紅茶文化はさらに花開きます。

19世紀後半に日本に紅茶が初めて輸入される

日本に紅茶が輸入されたのは、明治20年(1887年)です。
その時の輸入量は、100kgしかありませんでした。
当時の紅茶原産地の中国からではなく、イギリスから輸入されたものです。
ヨーロッパ文化へのあこがれとして輸入されたのでしょう。
その後、紅茶は日本に徐々に広まります。
1906年、輸入食材店の老舗である明治屋がイギリスブランドの紅茶を輸入し販売し始めます。
これは上流階級の人に、ハイカラな飲み物として広まり、愛飲されました。
1971年には、紅茶の輸入が完全に自由化され、現代の日本のように世界中のいろいろな紅茶が飲み比べられるようになりました。

セントルイス万博でアイスティーが発明される

アイスティーが生まれたのは、20世紀初頭のアメリカです。
1904年にアメリカで開かれたセントルイス万博で、アイスティーが初めて飲まれたとされています。
セントルイス万博の東インドパビリオンで、イギリス人のリチャード・ブレチンデンという茶商が熱い紅茶を宣伝していたのですが、7月の暑い折でなかなか人が来ませんでした。
そこで、ウォータータンクのようなものに冷やした紅茶を詰め、アイスティーを作って配ったところ、これが大人気となりました。
この時にアイスティーがひろまり、商業化のきっかけになったと言われています。
当時アイスティーが広まった理由としては、砂糖が普及していたことと、冷蔵庫や製氷機など冷凍技術が発達していたことも大いに関係しています。
他にも、1893年、シカゴで開かれた万国博覧会で、アイスティーとレモネードが2,000ドル以上(当時の金額)売れたという記録もあります。
そのため、アイスティーの発祥については諸説ありますが、アメリカでアイスティーが生まれたことは確かです。

日本産の紅茶ってあるの?その歴史とは?

日本で育った茶葉を使って作られた紅茶も存在します。
鎖国が終わった明治初期から、日本での茶の樹の栽培・お茶の生産は盛んになりました。
お茶は重要な輸出品のひとつであり、外貨の獲得手段だったためです。
その頃は紅茶が世界の主流だったので、日本でも紅茶を作るようになりました。
しかし、19世紀にはインドで本格的に紅茶の生産が始まり、日本のお茶は価格面で劣ってしまいます。
この時、日本の紅茶生産はいったん衰退しました。
その後、昭和初期の世界大恐慌では、インドやスリランカの紅茶価格が暴落したために、日本産の紅茶が再び輸出されました。
第二次世界大戦によって日本の紅茶産業はまた減りますが、戦後復興により回復し、現在に至ります。

紅茶も日本茶も同じ植物から生産される

緑茶・ウーロン茶・紅茶は、すべて茶の樹の葉から作られます。
3つのお茶の違いは、茶葉を摘み取ってから発酵させる時間の違いです。
緑茶は茶葉を摘んでから、すぐ熱を加えて発酵を止める「不発酵茶」ですが、紅茶は茶葉を摘んでから寝かせてしおれさせ、よくもんでしっかり発酵させる「発酵茶」です。
ウーロン茶はその中間に位置する「半発酵茶」になります。
茶の樹の葉を摘むと、その瞬間から茶葉は発酵し始めます。
菌によるものではなく、茶の樹の葉が持っている酸化酵素による発酵です。
茶の樹の葉はポリフェノールオキシターゼという酸化酵素を表層に含んでいます。
茶の樹の葉を摘んでもむと、葉の組織が壊れて、内層にあるカテキンがポリフェノールオキシダーゼに触れ、さらに酸素に触れることでカテキンの酸化重合がおこります。
これにより、紅茶の赤み成分であるテアフラビンやテアルビジンが作られます。
緑茶は摘んですぐ茶葉を加熱して、酵素の働きを抑えます。
ウーロン茶は、発酵途中で加熱して酵素の働きを抑え、発酵を止めます。

日本産紅茶は和紅茶と呼ばれている

日本産の茶の樹の葉で作られた紅茶は、「和紅茶」と呼ばれることが多いです。
地紅茶、国産紅茶、日本紅茶とも呼ばれます。
和紅茶は、全体的に繊細で、少ない渋みに甘い香りになる傾向があります。
しかし、品種や地域、ブランドによって風味や味わいは異なるので、例外も存在します。
日本で作られるお茶のほとんどは「緑茶」になります。
そのため、紅茶になる茶葉は0.13%ほどです。
それでも、近年は栽培法や多彩な品種、ブランドが注目され、多くの和紅茶が生み出されています。

明治初期、輸出品として紅茶の生産が盛んに

昔は日本でも紅茶が生産されましたが、これは日本で飲まれたわけでなく、輸出品でした。
1859年に横浜港が開港され、その後アメリカに緑茶が輸出されます。
しかし、アメリカではすでに紅茶が人気でした。
そのため、日本では輸出用紅茶を作り始めました。
日本は当時の中国(清国)に人を派遣し、江西・湖北など有名な紅茶産地で、栽培法や製造法を調査します。
製造機器や種子などを仕入れ、インドのアッサムやダージリンの効率的な製造法も学びました。
日本の茶の樹はアッサム種より渋み成分(タンニン)が少なく、紅茶の味が薄く感じられました。
そのため、最初は外国の評価がふるいませんでした。
アッサム種は紅茶向きですが寒さに弱く、日本では栽培が難しかったこともあります。
しかし、横浜の外国商社では好評で、製造法を改良し続けたことにより、英国公使館からも良い評判を得るようになりました。

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紅茶の歴史を学びたい人におすすめ!世界の紅茶博物館

紅茶には多くの歴史があり、それを学べる施設も存在します。
インドのティーバンガローなどは紅茶を楽しみながら旅行や避暑をするのに適していますが、しっかり紅茶の歴史を学べるのは、スリランカのセイロンティーミュージアムと台湾の紅茶博物館です。
この2つを紹介します。

スリランカ:セイロンティーミュージアム

この博物館は、キャンディ市内中心部からやや離れたところにあります。
セイロンティーの始まりとなった、ルールコンデラ茶園と、それを開いたジェームズ・テイラー氏についての品々を集めた博物館です。
かつての製茶工場が元になっています。
紅茶の製造に使われるいろいろな機械を見られたり、ジェームズ・テイラー氏について、功績を紹介したり遺品を展示してあったりします。
当時の紅茶研究所(TRI)で使用された研究機器なども展示してあります。
当時使われていた道具や、ジェームズ・テイラーが愛用した生活用品が歴史を感じさせます。

台灣紅茶博物館

正式な名称は、台湾紅茶股份有限公司関西茶廠です。
古くから創業していて、現在も実際に稼働する製茶工場に併設されています。
日本語で案内してくれる博物館です。
台湾の紅茶は、今も昔も世界中に輸出されています。
イギリスの紅茶にも台湾の紅茶がブレンドされていました。
昔はとくに茶の生産が盛んだったので、当時の製茶産業の写真が多く展示されています。
目を引くのが、世界各国に台湾のお茶が船便で送られた時、送る先の国を表すプレートです。
色とりどりで、ひと目見てわかりやすいデザインが並び、当時の台湾茶輸出の盛んさがわかります。

まとめ

紅茶の材料である茶の樹は中国原産です。
最初は薬として広まり、ヨーロッパにわたってイギリスに伝わってから紅茶文化が花開きました。
イギリスは当時の植民地だったインドとスリランカで茶の樹の栽培に挑み、安定して紅茶が生産できるようになりました。
日本も開国をきっかけに紅茶生産に挑み、時代の変化で生産が衰退することもありましたが、今ではいろいろな和紅茶が生産されています。
歴史を感じながら、いろいろな地域の紅茶を飲み比べてみましょう。

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